1987年HELM誌8-9月号(Vol.3)

シーホッパーの設計コンセプト今回はシーホッパーの設計コンセプトです。記事は「開発の背景」と「設計目標」に分かれており前者として次の3点です。

  • シーホッパー誕生の昭和48年当時ヤマハは1人乗りで大人向けの艇が未開発
  • 1人で始められることからセーリング愛好者増大に効果有り
  • 当時レーザーが米国で20ヶ月間に4,500隻売れた

次に後者として、次の8点が挙げられています。

  • 軽く可搬性が有り、ローコストで性能の良い艇
  • ルールを厳格にしないよう均一に製造できる設計仕様とする
  • 日本の夏の弱い風を考慮してセールエリアをできるだけ大きくする
  • 復元力を確保するため、最大幅を大きめにする
  • マストはYAMAHA-9で実績のある3本差し込み式を発展させた4本継ぎとする
  • センター、ラダーは耐久性向上と均質化のためFRP製とする(当時は木製が主流)
  • 安全性のため、アンカー、パドルの収納場所を設ける
  • 価格は30万円以下であること

また、普及のためにはしっかりした活動組織が必要との認識から、レースはYSA(YAMAHA SAILING ASSOCIATION)により運営するという内容になっています。

ここからは私見になります。
YSAが設立されて以降、その運営がシーホッパー協会に引き継がれるまでの間、ビルダーの大きなバックアップ(財政的にはもちろんのこと、登録受付などの協会事務をヤマハが担っていた)のもとで協会は運営されていました。

この頃は全日本選手権の前日に支部長会議が開催され、協会役員、ヤマハ社員、ヤマハボート取扱店スタッフが会議に参加し、活動報告・計画、決算、次年度予算等を決めていました。そのような中、YSAが無くなりヤマハが協会運営に振り向ける社員を削減していくと、組織としてのもろさが露呈し、全・東・西日本大会の開催場所さえなかなか決められない状況になりました。

更に国体種目から外れ登録会員も激減した今、シーホッパー関係者には危機感しかないと思います。ですがこの状況を再生のチャンスと捉えて、多くの人に手や口を出していただければ、シーホッパーをレース以外でも楽しめるクラスにして行けると思っています。

そのためには是非選手総会に参加し問題提起をしたり、ホームページにコメントを投稿するなどして当協会に知恵をお貸し下さい。老若男女、春夏秋冬いつでもウェルカムです。

斉藤昌則

1987年HELM誌8-9月号(Vol.2)

弥久保さん・渡辺克巳さんHELM8-9月号は前述のようにテクニック&チューニング編となっており、テクニック編は小池哲生さんが乗艇位置やハイクアウト動作などを解説しています。

チューニング編では6人のトップセーラーの紹介とチューニングデータを風域別に掲載していますが、その6人は小池哲生さん(浜名湖JFPF)、坂本安宏さん(浜名湖F)、鈴木正秀さん(浜名湖F)、松下隆一さん(大津F)、弥久保金恵さん(浜名湖F)、渡辺克巳さん(三保F)です。

上の写真(クリックで大)はその中の2人の紹介記事(御両名から掲載了解済)です。30年前ですから当然若い!個人的に弥久保さんのバックに写っている女性?が気になります。渡辺さんは現役セーラーでありつつ初代チーフメジャラーも努められ、計測員養成講習の講師として全国各地を飛び回っていました。ちなみに私(現チーフメジャラー(3代目))も当時講習を受けた一人です。

1987年HELM誌8-9月号(Vol.1)

ヘルム1987年舵社発行の「HELM」8-9月号(part1)、10-11月号(Part2)でシーホッパーが特集されました。Part1はテクニック&チューニング編、Part2はクラスルール&艤装解説編になっています。

残念ながら10-11月号は残っていないのですが、8-9月号の特集を著作権侵害を気にしつつ紹介して行きたいと思います。

今回は表紙になっている写真(クリックで大)についてですが、浜名湖でのフリートレースだと思われます。2501は小池哲生さん(1981年全日本チャンプ)ですね。左側に写っているオレンジ艇は当時無料で選べたカラーだと思いますが、今でもどこかのハーバーには残っているのではないでしょうか?

写真ではわかりにくいですがフットベルトにクッションカバーを付け、コントロールロープは純正艤装よりテークルを増やしているのがわかります。ヘリハンの赤青縦じまライジャケ自分も使っていたな~。

次回以降はこの特集の中身になりますが、協会事務局の弥久保さんや渡辺克巳さんの顔写真入紹介、シーホッパーの設計コンセプト、浜名湖フリートはナゼ強い?を予定しています。